口下手で言いたいことが言えなかった僕が「発信」にこだわる理由
どうも、デジタルマーケッターのジュンイチです。
2021年は抱負にも掲げたとおり、ガンガン発信していこうって思っていて、やっぱりそれが楽しくて。毎日せっせとブログを書いて、YouTubeラジオもやっています。
今日は、ここ数年忙しい忙しいっていうのを言い訳に、なかなか発信ができてなかった僕に対して喝をいれつつ、原点を思い出すために書きます。
なぜ僕が「発信」することにこだわっているか?思い出しながら書きたい。
今日は僕自身のために書く!
ジュンイチ
思い出せ!なぜ「発信」にこだわってんのか!
僕は伝えるのが下手だ。今でも別に得意だとは思ってない。ずっと自分の思いを伝えるのに苦手意識があったり、本音を伝えたらアカンって思ってきた。
でも、そんな僕が「発信」によって人生が劇的に変わった。だから、発信することにこだわりたかったんだし、発信することの素晴らしさを伝えることが使命だと信じてるんだった。それを、久々に思い出した。
ここ数年、僕自身が忙しさにかまけてなかなか発信できてなかったから、この僕の思いも忘れてたんかもしれない。この思いを、うまく伝えてこれなかった。
自分が思ったことを伝えられない。そんなもどかしさ、辛さを思い出せ!
なぜ言いたいことを我慢するようになったのか。伝えるのが下手だったのか。それは幼少期にさかのぼらなあかんな。
機能不全家族の中で育った僕は、もちろん自分の家がそうであるってことなんて分からず。家族がいつもギスギスしてんのが当たり前だって思ってた。
僕が家族の間を持たないと。僕が家族を仲良くさせないとって、顔色伺って、何を言えば喜んでくれるのか?っていうのをずっと考えながら発言してた気がする。
それが学校でもそうやったしね。先生の言うことをちゃんと聞いて、先生が喜ぶような発言をして、それで褒められればいいんやってね。
そんなこんなしてると、自分の伝えたいことっていうのがうまく伝えらんなくなってね。でも、そん時はまだ自分では「口下手なだけ」とか「遠慮して自分の気持ちを語れない性格」だって思ってた。
言いたいことが言えず苦しいって気持ちに気づき始めた
でも、やっぱり言いたいことが言えないっていうのは、どっかしら辛い部分はあって。いつも上手に喋れる人はいいなぁとか、とっさにおもろい事を切り替えせる人はすごいなぁとか。言いたいことをズバッと言い返せる人はかっこいいなぁとか。変に劣等感感じてたよなぁ。
伝えたり話すんが上手な人に比べて、逆に僕はというと、、、
何か相手に理不尽なことを言われても、その場で言葉が出ずに言い返せへんかったり。(あとになって「ああ言えばよかった、悔しいなぁ」っていうことは多かった…)
未練があるわけじゃないけど、高校時代に付き合っていた彼女に、大学生になったとたん「遠恋は難しいから別れよ」って言われて、ほんまは別れたくはなかったんだけど「いいよ。しゃーないよね。」ってすんなり頷いたり。自分の気持に正直になれんかったんよね。
そんな僕の救いになっていたのがmixiっていうSNSだったやんな!
でも、そんな僕がmixiに出会った。懐かしい!
大学の友人に見てもらうだけの日記だったけど、コメントが付いた日には、自分のことを認められているような気がして嬉しかった。自己承認欲求が満たされていくような感じ。
「こんな僕でも、好きなことを伝えてもいいんだ」ってね。普段うまく思ったことを伝えられへん僕でも、僕の書いたことでも誰かを楽しませたりできるんだってね。
(※今もまだmixiってあるんやね!引っさびさにログインしようと思ったけど、全然アカウント分からんくてログインできひんかった・・・。)
mixiとか日記では伝えたいことが伝えられるようにはなったけど…
そっからは、会社員になってしばらくmixiからは離れるようになった。忙しすぎたんよなぁあの会社・・・。
mixiでは楽しく発信ができるようになっていた僕だったんだけど、思うことをうまく伝えれられない、我慢してしまう性格だったからこそ、会社の中でもあまりうまく立ち回れなくて。
上司にはいい顔をしないといけないんだけど、納得いかんことは納得できない。でもそれをその場で、うまく伝えられない。表情にはめっちゃ出てたと思うし、帰ってから妻にはいっつも愚痴ってたと思う。ごめんなぁ。聴くのもたいへんやったよな。
あと、高圧的な上司もすんごい苦手やったよなぁ。論破!とか問い詰め!みたいなロジハラっていうんかな今では、そんな態度を取られると余計に何も言えなくなって。一方的に僕が悪いんやって思わされるやんね。しんどかったなぁ。
そんで病んだんですよね・・・。誰かと話すだけで涙が止まんないような状態になって。
気持ちは病んでも、家族だけは守りたくて
でも、家族をちゃんと守っていかなあかんっていう気持ちだけは強くあって。そん時は妻とまだ2歳の娘1人だった。あとチワワのわんこ1匹。
病んでしまっても、会社にいけなくなっても、何らかの手段で稼がないとって起業活動を始めた。当時は、僕が好きだった「漫画を描くこと」を活かして企業さんの宣伝に使ってもらえないか?って考えて活動してた。
そんときに集客のために改めて始めたのがブログだったんよね。(この辺の話はプロフィールにも書いてる。)
集客のためだとはいえ、
- ブログを使って、
- なにか自分が伝えたいことを整理しながら、
- 自分のペースで書いていくこと
はとても楽しくて。あとは、Facebookも始めたんよね。ブログとFacebookでも発信しまくって色んな人にブログや投稿をみてもらった。
それがまだ、全然お金にならない時でも、すごく楽しかった。毎日毎日2記事も3記事も書いた。
発信がすぐに起業の成果には繋がんなかったんだけど
初めの1年間は正直うまくいかなかったけどね。独りよがりの自己満な記事ばかりだった。他の人が読んでもおもんなかったと思う。だからアクセス数もほとんどあがんなかったし、仕事にももちろん繋がんなかった。
でも、Webマーケティングのこととか勉強しながら、どうすればより多くの人に自分の情報を、発信を見てもらえるのか?っていうのが分かってからは、少しずつ自分の発信が読んでほしい人のところに届くようになった。
発信することが楽しい。
それが必要な人のところに届いて喜んでもらえるから、更に楽しい
自分に価値があるんだって言ってもらえたようだった。
「発信」が奇跡を起こした
発信が必要な人に届くようになってからは奇跡のようなことがたくさん起きた。
まったく無味の、有名人でもない僕に見ず知らずの方から「会いたい。話を聞きたい。ブログを教えてほしい。集客に困っているからサポートをしてほしい。」っていうお問合せがガンガン入るようになってきた。
そんでもって、セミナーとかで会う人には「本物だー!芸能人にあったみたい!」って喜んでもらえるようにもなった。
不思議でしょうがなかった。
自分は何も変わっていないのに、何が起きたん!?って思った。
思ったことを目の前でなかなかうまく伝えられなくて、しゃべるのも下手くそで(今でもラジオで頑張って特訓してるけどうまくならん!)即興とか、即答とかすんごい苦手で、そんな取り柄が無いような僕でもですよ。
そんな僕でも会いに来て話を聞いてくれる。喜んでくれる。
僕が自分で考え、実践して成果につなげてきたことをお伝えしながらサポートするコンサルティングも順番待ちができるくらいの状態になった。
そして、まさか社長になるなんて思わなかった僕が、今では会社を作り、5年も経営している。
「発信」で人生が変わった僕ができること
そんで、今改めて思うんよね。
「発信」はほんまに素晴らしいって。発信することで、自分がこの世界に初めて存在してもいいんやって感覚にもなれたし、その発信が必要な人に届くようになれば、仕事にもつながって相手にも喜んでもらえるんだなって。
そう思ったら、僕の使命って、
- うまく自分の思いとかが今まで伝えらんなくて
- 言いたいこと、伝えたいことを我慢してきたような
- そんな人や経営者さんの手助けをしたり
- 勇気を与えること
なんだなって。
そういう人が発信力を身につけて、そんで、今僕がやっているデジタルマーケティングの経験を組み合わせて、本当に必要な人に届けられるようになるら、きっとその人、その会社は今までよりきっと明るい未来を手に入れられるだろうって。
これが忘れてた僕の使命
勝手に自分で思ってた使命なんだけどね。
改めて思い出せ僕の使命を。
過去の僕と同じように、自分が伝えたいことを我慢したり、うまく伝えらんないっていう人のために、貢献したい。
「楽しく発信して、人生を変えられる人・事業主さんを増やすこと」
これが僕の使命。発信することの楽しさによって救われた僕の経験を、これからも伝えていきたい。
これが今日改めて宣言したいこと。忘れんなよ!自分!
おわり。
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