子供のために自己犠牲は本当に正しいのか?親だって人間やから好きな事をしようよ
どうも、JUNICHIです。
2人目の子供が産まれてからヒィヒィ言って毎日乗り切っていますが、色々考えることが出てくるわけです。
今日のテーマは『子供のための自己犠牲』です。
子供を持つところから自己犠牲は始まると思う
まだ夫婦2人だけの時はお互い大人だから話は通じる。
頑張って対話し続ければ、お互いの想いややりたい事だって分かるし、尊重し合う事ができます。
でも子供ができると、色々子供のために使う時間が増えますよね。
ちょっと我が家の場合の話を聞いてください。
エピソード1.4歳の娘がお父さんの言う事を聞いてくれません。野菜を食べてくれません。
まずね、野菜を食べてくれません。野菜を食べる大事さを分かってくれません。
僕ら夫婦はキライなものはほぼ無し。小さいころから何でも食べました。
でも、うちの子はウィンナー!とかハンバーグ!とかカレーライス!チャーハン!みたいなものは食べてくれるけど、
煮物…
野菜炒め…
豆腐…
とかを出すとあからさまに嫌な顔をします。もうせっかく作った側としては、どついたろうかと思います。
『野菜も食べな綺麗な女の人になれへんで』って言っても「なんで?」って言ってきます。67回くらい理由は説明しました。でも毎回「なんで?」って言ってきます。大人になってからのぶっつぶつの肌が想像できないんでしょう。
今は、つるつるもちもちすべすべやから危機感ないんじゃ!
良かれと思って野菜をおすすめしとるんじゃ!!
って思うんです。
もうこの際、娘が大人のレディになってお肌ボロボロになってから「あの時はごめんねお父さん。野菜を食べておけばよかった…。」と言わせたろうかと思うのですが、そんなお肌ボロボロな女性になってしまうとかわいそうなので、無理してでも食べてほしいと思うのです。
一応僕も親です。親心がちゃんとあります。未然に防げることは防いであげたいと思う訳です。
こうやって、いろいろ「食べろー!」「いややー!」のやり取りをしてると、無駄に時間が過ぎるんですよね。
話が通じんと、押したり引いたり、怒ったり悲しそうな顔したり、エサで釣ったりしないといけない訳です。
そうこうしていると、本来確保できたはずの時間が確保できなくなります。
いたずらに時間だけが過ぎていきます。
「もうこの30分は何? 何の時間やったん? 30分あればちょっと好きな事できたし。」って後から思って絶望するくらいです。
エピソード2.赤子が寝ない。親は寝不足。
赤子ができると、2~3時間に1回は起きてお乳の時間、ミルクの時間になります。
もちろん赤子は自分で食事もできないので、親がお乳をあげたりミルクを作ったり、おむつを変えたり、色々しないといけないのは当たり前です。
ですが、やっぱりそこにも親の犠牲は出てきますよね。
- お乳やミルクをやる時間
- 睡眠時間、こまぎれ睡眠
- オムツとか変える時間
- オギャーオギャー泣き続けたらなんか放っておけない
などなど。色々手がかかるし、睡眠時間も減る。
赤ちゃんなんて親がいなければ生きていけないし、僕は別にそれがイヤっていってるわけじゃないんよね。なんたってまだ笑うってことも意識できないはずなのに、ぎこちなく笑う笑顔を見た時なんて最高に幸せって思う。
でも、やっぱり親が子供のために犠牲にする部分は多いよねって話。
でも親の人生は?全部犠牲にしないといけないの?
そんな事をふと考えることが多くなるわけです。
子供を作ったのも自分の責任。
望んだのも自分。
子供のための犠牲はしょうがない。
確かに独りじゃないんだから犠牲にしないといけない部分はあるけど、何から何まで自分を押し殺すなんて僕は絶対間違ってると思う。
親だって親の人生を生きたい。何から何まで犠牲にしないといけないのか?という葛藤が付きまとうようになる
もちろん子供が可愛くない訳ではない。
一緒に遊んだら楽しいし、心から笑った笑顔を見ると「天使が舞い降りた。この子の為なら死んでもいい。」とほんまに思う。
いざとなった時は子供や妻のために命を落とす覚悟もある。
でも遠慮なく書かせてもらうけど、ずーっと子供の相手はしんどい。
お父さんにだってお父さんの人生があるの!って思ってしまう訳です。
逆に親が勝手すぎても子供が不幸になるのではと思う
親が子供を放ったらかしで好き放題してても、将来子供が大きくなった時に「親が全然かまってくれなかった。愛情を注いでくれなかった。」という心の傷が出来そう。
ちゃんと愛情は注ぎたい。
健全な大人にしたい。
そう思うと、親が好き勝手するのも違うと思うんですよね。
この葛藤です。葛藤の毎日です。
子供を持つ身、家庭を持つ身であれば多少の自己犠牲は仕方がない
自己犠牲なしに家族関係は成り立たないとは思う。全部自分の思うがままなんて、家族でいる必要がない。独り身でいいもんね。
だから多少の自己犠牲は仕方がないとは思う。
でも・・・!!
と葛藤です。葛藤の毎日です…。
思うけど、自己犠牲ばかりでは健全な家庭にならない
『あなたのためにママはこんなに頑張ってるのよ』
『お父さんはお前のために必死で働いてるんや』
そんな事をずーっと言われてみて子供はどう思うかな。
その子が大人になって子供ができたときも、自分を犠牲にしてしまわないかな。自分の人生をまっとうできるのかな?
そんな事を考えてしまう訳です。
親自身が自分を押し殺して、精神的にも身体的にも疲弊してしまう。
その結果イライラして家族に八つ当たりをしたり、家族以外の人に安らぎを求めに行ってしまうなんてすれば、家庭の平穏なんてなくなってしまう。
健全な家庭は、まず親の心に余裕があって笑っていられるところが基盤になると思うんだよね。
これっていう解決策はないけど、少なくとも僕は子供に「親だって1人の人間だ」ってことを伝えている
- 妻への愛
- 子供への愛
- 自己愛
全てのバランスをうまくとってやるには、それぞれの家族の思いを話すしかないと思ってる。
話してもうまく伝わんない事だって多いし、理解してもらえるとは限らない。ああでもないこうでもないっていってるうちに子供は大きくなっていく。
自分も年老いていく。人生の終わりに近づいていく。
でも、少なくとも『親だって一人の人間だよ』ってことは僕と妻は娘に伝えている。
親だって気持ちがあるし、やりたい事はやりたい。やりたくないことはやりたくない。
『でもお前も同じように自分の気持ちはちゃんと伝えたらいいよ。』
って言っている。
そんで譲ったり譲られたり尊重し合える関係を徐々に作っていかないといけないと思う。
まだ4歳の子供がどこまで分かってるか分からないけど、お互い一人の人間として、認め合えるようにならないとダメかなって。
まとめ
- 親も好きな事が満足するくらいできて
- 子供も親に十分愛されてるって実感できて
- 家族でも楽しく過ごせる時間が沢山とれる
そんな欲張りな生き方を望んでもいいと思うんだけど、現実的にはどこかに絶対妥協点が出てくる。
妥協はしてもいいと思うけど、妻のため、子供のためって何から何まで自己犠牲する必要はないと僕は心から思ってる。
子供のため、家族のために!だけでは親の心が持たなくなる。
たまには、思い切って親もわがまま言って自分の好きな事しよう!!
子供だってわがまま言うしね!!
子供のために、家族のためにみたいな生き方が美化されがちだけど、親自身が自己犠牲をしすぎるのは良くない。自分自身も好きな事せなね。
独りじゃないんだから犠牲にしないといけない部分はあるけど、何から何まで自分を押し殺すなんてあかんよ。
親の心の余裕が結局家庭の平穏の土台になるから。— ジュンイチ@デジマ研究所 (@Junichi_Santa) August 9, 2017
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