昨日、親友が亡くなったと知りました。これほどまでに「たら」「れば」を強く思った日はありません。
こんにちは。JUNICHIです。
耳が聞こえづらくなって2週間ほど、やっと聴力も戻ってきました。ほんまに一時期は、もうこのままなのかと思って、すごく落ち込みました。ぼちぼち仕事も再開します。
沢山の方から、心配メールやメッセージをいただき、本当に感謝します。お一人お一人にお返事できないのは申し訳ないですが、ほんまに嬉しかったです。ありがとうございます。
突発性難聴から、もしかしたら国の難病指定のメニエール病かもしれないとまで診断されましたが、どうやらそれでは無かったみたいです。
あなたも、なんか耳の調子が悪い、なんか聞こえづらいなって思ったら早めに耳鼻科にいきましょう。ただの耳鼻科じゃなくて、突発性難聴に強い所にいきましょう。これが大事です。早めの治療が大事と言われています。
さて、そんなこんなで1週間ほど休養をしていたのですが、かなりショックな出来事がありました。
親友が亡くなっていたそうです。32歳の若さです。
親友が亡くなったって初めて知ったのは、彼が死んでから2週間後でした
昨日、地元の友人からめちゃくちゃ久しぶりにLINEを通じて着信がありました。
なぜか、僕はそのとき嫌な予感しかしませんでした。
電話越しの友達は泣いていました。
もう死後2週間後でした。
僕の友達もみんな、彼の死を「喪中」のはがきで昨日知ったとのことでした。それを知った友達が、僕に知らせてくれたのでした。教えてくれて本当にありがとう。
本当に何もできなかったのか?助けられなかったのか?
親友のこと、あまり詳しく書けないけど、僕と同じく心の病気で苦しんでいました。彼は、一時期はこちらから連絡が取れない病院に入院するほどで、本当に心配でした。
たまに向こうから連絡があって、「潤君がうつで辛い時に、何もしてあげられなくてごめんね」って泣かれました。自分のほうがつらいはずなのに、人の心配をする、そんな本当に心の綺麗な優しい人でした。
『でした』って書きたくないな…。
僕は、自分を心から支えてくれる妻という存在があったから立ち直れたけど、その親友は退院してからも、なかなかもう外に出られない状態になっていたそうでした。
あの時、僕がもっと会いに行っていれば、話を聞いていれば、一緒に仕事をしていたら、、、、。
なんて後悔しか出てこない。というよりも、死んだって現実が全然受け入れられないくらい。実感がわかない。
みんなどうしてんだろう。親友が亡くなったら、どう受け止めていいんだろう。今は無理やわ。
せめて、最期に顔見たかったよ。ほんまにそれすらできないなんて…。
出会ったのは保育園のとき。今でも覚えてる。すんごく絵が上手だったよね。当時から、一緒にガンダムの絵を描くのが好きだったよな!
近所の神明神社で野球したり、ぽこぺんしたり、一緒にゲームしたり、ほんまにほんまにいっぱい遊んだよね。高校からは別々の高校だったけど、それでも休みの日にはたまに遊んだら、また昔みたいに神明神社ではしゃいで遊んで。
大人になってからも地元の大垣でも大阪でも一緒にお酒飲んで遊んで、昔話に花を咲かせたよね。おっさんになっても、一緒に昔みたいに野球とかぽこぺんしようって、約束したよね。
僕の結婚式でも、一番緊張する乾杯の役させてごめんね。でも本当にうれしかった。一番大事な友達のMにやってほしかったから。あの緊張して照れてた顔、今でも覚えてるよ。
せめてもう一回、もう一回だけでもみんなで童心にもどって、思いっきりヘットヘトになりながら遊びたかったな。「おっさんになってもおもろいなー!」って言いながら。その後、みんなで酒でも飲んでね…。
ちゃんと、一緒に遊んだみんなで最期にそろって会いに行くから。それまで天国に行くんちょっと待っててな。
今まで本当にありがとう。Mと出会えて本当に幸せだったよ。そしてお疲れさま。次はそっちで、遊ぼうな。
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